フアン・ロマン・リケルメ

Juan Roman RIQUELME

生年月日
1978年6月24日
国籍
アルゼンチン
身長
182cm
体重
75kg
ポジション
インテリオール,メディアプンタ
在籍
2002-2003

卓越したゲームメイクのセンスを持ち、現在のサッカー界では絶滅寸前と言われるクラシックなゲームメーカーである事から恐竜と称されることがある。2002年7月ボカ・ジュニアーズから加入したものの、移籍初日の記者会見にてルイス・ファン・ハール監督から「君は私の望んだ選手ではない」と前代未聞の宣告をされ、いざシーズンがスタートしても戦術至上主義のファン・ハールのサッカーとはまるで水が合わず、ベンチを暖める日々が続く。ファン・ハール解任後に就任したラドミール・アンティッチ監督からも信頼を勝ち取れず、クラブ低迷打開の救世主として違いを見せることはできないまま欧州初挑戦のシーズンを終える。2003年夏、ロナウジーニョが移籍してくるとクラブは彼の付けていた背番号10を説明も無く取り上げ、EU外枠が埋まったことを理由に1軍練習から締め出すという行動に出る。このような扱いを受けても決して腐らずに黙々と練習し、その姿はチャビやパトリック・クライファートから賞賛される。8月に同じスペインのビジャレアルへのレンタル移籍が決定した。このビジャレアルで復活と躍進を遂げる。2003−2004シーズン途中、監督がベニート・フローロからマヌエル・ペジェグリーニに代わると戦術も彼を最大限に活かす所謂「王様サッカー」に移行。チームの中心として輝きを取り戻し始め、クラブ史上初となるUEFAカップのベスト4進出に貢献。2004−2005シーズンはディエゴ・フォルランとのコンビで旋風を巻き起こし、リーグ戦では2人で40得点を叩き出した。2年連続出場となったUEFAカップはベスト8、リーグ戦はクラブ最高位の3位で終えてUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得するという大躍進のシーズンとなった。2005−2006シーズンにはビジャレアルへと完全移籍を果たす。チャンピオンズリーグではベスト4進出の原動力となったが、彼自身のPK失敗によってチームの敗退が決定的となるという悲劇も味わう。2006−2007シーズンは、ペジェグリーニやビジャレアル首脳陣との確執などによってメンバーから外される事が多くなり、2007年2月9日に古巣ボカへの復帰(レンタル移籍)が発表された。かつての王様の帰還をボカファンは大歓迎し、彼もそれに結果で応えていく。盟友マルティン・パレルモとのコンビネーションは健在で、パレルモのゴールの大多数をアシスト。コパ・リベルタドーレスでの活躍は圧巻で、グレミオとの決勝戦では5得点全てに絡む活躍を見せチームを4年ぶりの優勝に導いた。ボカとのレンタル期間が終了し、所属はビジャレアルへ。ボカはリケルメの完全復帰を目指しビジャレアルにオファーしたが、受け入れられなかった。他にもアトレティコ・マドリードからオファーがあり、リケルメ本人もマドリードまで出向き移籍交渉をしたが実現はしなかった。ビジャレアル側の「リケルメ構想外」の姿勢は変わらず、練習だけに参加する3ヶ月を送る。2007年11月30日、正式にボカに3年契約で完全移籍した。クラブワールドカップ出場を望みながらも、出場選手登録の期限が11月23日であったため、大会への出場はかなわなかった。それでも日本への遠征には帯同し、“裏方”としてチームを支える役回りを果たした。”ROMAN”10はまだまだこれで終わらない。

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